ぜんせーです。

ボク、定期的にカウンセラーに行ってるんすよ。夫婦カウンセリングの時もあれば、個別の時もあります。日本ではあまり一般的ではないと思うんですが、精神ケアっちゅうのはものすごく重要で、精神の充足は仕事も家族も恋人も、しいては人生そのものが良い方向に激変する可能性があります。

もちろんカウンセラーは誰でも良いわけじゃありませぬ。むしろ相性によっては負の方向に行く危険性があるので、しっかりと自分とカウンセラーの相性を見極めましょう。

今回ですね、米国でのカウンセリング経験を持つ新しいカウンセラーと出会いました。少し都内から離れているのですが、せっせとNBOXで通っています。アメリカの精神ケアは最先端を走っているので受けてみたかったんすよ。以前の日本人カウンセラー+日本式カウンセリングのクオリティ最悪でしたからのう。

んで夫婦カウンセリング、個別カウンセリングを継続しているのですが、とても良いです。特に個別カウンセリングの時の話なんですがね、ざっくり人生のゴールを引きます。ボクの場合、他者比較からの脱却、幸せを知る事を設定しました。

まずは自己と向き合うために幼少時代に記憶を遡ります。カウンセラーが記憶を過去へ過去へ誘導していきます。

ボクの場合、黒歴史と言われるのは児童養護施設時代ですから、必然的にそこにスポットが当てられるわけです。まぁゆうても、いい大人ですからいくら過去の黒歴史に触れたところで痛くもかゆくもないって思うじゃないですか。しかしね・・・

ぼろ泣きしました・・しかも嗚咽混じりに・・・

記憶にないシーンまで蘇ってきて、完全にボクは理性の外。いやこのカウンセラーの力ハンパねえっす。制御できない涙を流した記憶ってのはありませぬ。込みあげる言いようのない憎しみ。こんなにもドス黒いものがボクの中に身を潜めていたことに驚きを隠せませんでした。普段人間は触れてはならぬものにフタをしながら生きているということです。深層心理下にある本当の自分。ほとんどの人はそれに出会うことなく、フェイクな人格で人生を終えていると言っても言い過ぎじゃないかもしれません。

夫婦セッションを受けてみて妻マッキーにも黒歴史があることを知りました。例え夫婦であってもお互いを心の底から理解するには困難を伴うのでしょう。人が他人と長い人生を共にする。そのベースには愛を、その上には理解と尊重を。表面上ではなく、幼少の頃からどう生きてきたのか吐露し合う必要があるのかもしれません。夫婦という閉ざされた世界を開き、プロを介入させる。長期視点で見るとこれは悪い事ではないでしょう。

例えば子供が思ったように育たない。どこの家庭でも抱える問題ですが、問題の本質は子供にありません。子供は親をロールモデルとして育ちます。つまり問題の本質は夫婦間にあるということです。そしてすべての問題は精神に通じるといっても過言ではないのかもしれません。

人間というお金と等価交換できない存在は時に煩わしいものになり得ます。逆にお金と交換可能な高価な物質は自己を正当化しやすく、それを所有することは自分が人より優れていると勘違いしがちです。高級車からは距離を置き、軽自動車は煽る。日本ではよくある傾向ですよね。いざ引退、死期を悟った時、本当に心から安息を与えてくれるのは人とのつながりにより得られた充足か、物質に満たされた充足か、火を見るより明らかでしょう。

ボクは米国好きの米国かぶれですからね、向こうの富裕層をロールモデルに設定しているんですが、彼らはお金持ちになればなるほど、カウンセリングを行い、自己と向き合う努力をします。本当の自分の幸せはなんなのかってね。日本の場合はまだ精神の充足へコストを割くほうに向いていないと感じます。

少し前、IT長者と言われる経営者軍団がプライベートジェット機を仲間内で購入したらしいです。いくらお金を使っても株の配当で何もしなくても数十億が毎年転がり込む。夢のような生活かもしれませんが、実際彼らから幸せそうなエネルギーを一度も感じたことはないと言います(妻マッキー談)

そしてボクの先輩や友人からも、お金が入ってくるたびに幸福度が下がっていくという実体験を聞きます。彼らから感じることは、周囲の人間や、自分との向き合いが足りていないということです。

おカネを稼ぐということは実はシンプルで、簡単に言えば、「行動を起こすか否か」です。しかし他人と心からのつながりを得るには自分を変える必要があります。

カウンセラーというプロに力を借り、精神のステージを上げていく。これはおカネを稼ぐより難しいことかもしれません。特に人を使う立場にある経営者はこういった所にコストを割くとよいでしょう。何故なら精神ステージが上がることは、ビジネスセンス、人材マネージメント、良い友人ができるなど、生活そのもののクオリティを押し上げてくれる力を持っているからです。

実際にボクはカウンセラーと共に自己と向き合い始めてから社員への対応が変わりました。失敗を繰り返しコミットが足りなかった社員は成長し、今ではエースとして売り上げを出しています。あなたが持つその権力は人を裁くためではなく、人を救うためにあると。

そして私利私欲にまみれた人、言葉使いが汚い人、まともに向き合わない人とはバッサリ友人関係を解消し、本当に大事な人との時間を増やすことによって更に精神力が成長します。そしてそういう人は意外と身近にいることを忘れてはなりません。 
 
 

ボクは30代でアヴェンタドールを三台乗り継ぐことになります。確かにボクはクルマ好きだけど、その意識はバンやワゴンなどの箱車に向いています。つまり圧倒的スペックを持つスポーツモデルにはそこまで興味がなく、単なる承認欲求を満たすためだったと言えます。そのために仕事をがんばり、モチベーションを絶えず燃やし続けてきました。

そして今、アヴェンタドールからは情熱を得られず、走り去るスーパーカーを見ても、何一つ心が揺れ動きません。これは私生活、ビジネスともにモチベーション低下を招きます。欲がないわけですからね。しかし最近は本当に大事なものに気づきつつあります。ボクに寄り添いすべてを共にする家族、長年闘い続けてきた役員たち、新しく入ってくる仲間たち。ボクは彼らと心からつながる必要があり、与えられるものは与え続け、そして彼らに生かされるのです。いかにボクの周囲の人間の精神ステージを引き上げていくか。今はこれこそが大きなモチベーションとなりました。

もしあなたがボクのように承認欲求でスーパーカーが欲しいなら、若いうちに無理して乗ることです。そして早くに気づくことです。引退が近い年齢になって承認欲求に生きるほど痛々しいもの、ないでしょう。

こうしてボクは次のアヴェンタドールSVJを最後に、スーパーカーと言われる類から降りるかもしれません。もし所有したとしても、それはあくまで社員の心を突き動かすために。クルマはコミュニケーションを最大化してくれるものに変え、ボクの傘下にいる人間達をコントロールするのではなく、各々に富と権限を適切に分配し、何も不安ない生活と、精神の充足を与えていく必要があります。今、組織は70名になり、今年には100名に達するかもしれません。会社代表者はたくさんの社員の負の部分と向き合い解決する力が求められます。これから300名、500名の組織にしていくにはまず自分の黒歴史と向き合い、人を信じ、絶え間ないチャンスを与え続ける必要があります。すべてはボクに関わる人の人生が有意義であるために。人は人のために生きてこそ、人生は輝くのでしょうか。そのためにスーパーカーは何の要因にもならないということです。いつしか自分で言い放った言葉。「アヴェンタドールを超えてゆけ」というのはこういうことなのだと。少しわかった気がします。