一流と二流の選別

娘のダンス発表会に行ってきました。

全出場校にブロンズ賞、シルバー賞、ゴールド賞が与えられます。娘の学校はゴールド賞確定という噂をちらほら聞いていました。

プロのコーチを迎え、ダンスの足並みは揃っている。歴代全国への出場経験もある学校です。娘もゴールド賞取って全国に行けるものだと浮足立っています。

しかし結果は”シルバー賞”でした。

生徒達もコーチも「こんな結果はありえない」という態度をしていたのが印象的でした。しかし、素人な私と妻の意見は「ゴールド賞であっていいわけがない」でした。確かにどこに劣るともないクオリティ。でもどこか足りない。パッションを感じないのです。生徒から「ダンスが本当に好きで、表現を一生懸命したい」という熱意を感じない。それ故に、マニュアル通り動いているただの人間の群れに見えてしまう。

それもそのはず。部員同士は不仲でしばしば問題を起こします。練習は遅刻が常態化。生徒はコーチのせい、コーチは生徒のせい。親の視点で見ると「みんなバラバラで、何一つ一生懸命にやっていない」。そんなチームがゴールド賞を取れるはずがない。実に、実に、うぬぼれである。

娘はシルバーという結果を聞いて泣きじゃくりながら私に電話をしてきました。しかしその涙は一生懸命やりきった先にあるものではなく、ただ周りが泣いていたからなんとなく泣いた。あぁ、この涙は意味のあるものではない。ただの水分だと思いました。

ゴールド校の演技はどれも素晴らしいですが、シルバー校との大きな違いは演者全員から発せられる熱意です。その熱意が会場全体に伝わり、観客の意識が演者に引き込まれていくこの感覚。一流と二流の間には超えられない壁がある。娘がゴールドレベルのステージに立っているイメージがまったく湧いてきません。人間界は一流と二流以下、それしかないのでしょうか。

死にものぐるいで達成したい何かがあり、そこにチーム一眼となって向かい、そして強敵に破れる。過去の苦しい練習の日々が大粒の涙となって流れ、その悔しさが次の成長を決意させる。

そういう体験が中学生にはあるものだと思っていました。でも違った。親は自分の実体験を元に子供の世界を予想しますから、こういった世代間ギャップが生まれます。

「こういう時代なのだ」と。そう思うしかないでしょう。がんばった娘やコーチには敬意を評したい。しかし親として、学校の顧客として、納得のできる結果ではなかった。それだけの事です。社会に出れば選別されるのが自然の摂理。でも家族はそれを超えた存在でもあります。ありのままの娘を受け入れて、成長に感謝して見守っていきましょう。

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