スーパーカー越しに見る、成功する人しない人。
以前書いたが、新卒サポートの一環として部屋を安く提供するために不動産(ワンルームマンション)を取得した。
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そろそろ4月。さっそく上京組の新卒に格安で部屋を提供する旨をアナウンスした。スグに全員から申し込みがあるかと思いきや、一人の申し込みしかなかった。これは予定外。ボクが取得した不動産は一転、空き部屋と化してしまった。
と、言ってもうろたえることはない。取引のある不動産業者に事情を伝え、一般申し込みをお願いした。事態はスグに収った。正規の金額で全物件借り手がついたのだ。うち一件は皮肉な事に他社の新卒が入居した。
何故自社の新卒は会社提供の格安物件を選ばず、割高な一般申し込みを選んだのか。人事部に聞いた。
「特に理由はありません。単に優柔不断なだけです。現に今になって入居したいという申し出があります。もう遅いですが。」
つまり良い話があったのに、判断の遅れによりチャンスを逃したということだ。
最近twitterから「スーパーカーを買うにはどういう生き方をすればいいか」という類のメッセージを学生から受け取る。学校は学問を教えるところであり、社会での生き方は教えてくれない。そういう環境にいる学生が少し可哀想に思う。
ボクが成功者として看板を掲げられたらよいが、残念ながらボクはそこまでの人間ではない。でも少なくとも数多くの成功者と近い距離にはいる。成功の法則なんてものはやっぱり存在しないけど、成功者に共通した傾向は見えてくる。
社会はフラットだ。チャンスは誰にでも平等にある。成功するか否かは素早い判断、リスクを恐れない行動。そういう人間の本質的なところにある。良い大学や、名家、資格。そういう類のものは、より良質なチャンスに巡り合える可能性を引き上げるだけのもので、成功を保証するものではない。どれだけ高学歴でも、どれだけ良い家庭で育っても、雑草みたいに底辺から上がって来た奴のほうが社会では成功するという法則があるが、あながち間違ってはいない。思考力も優れすぎるとあらゆるリスクを想定してしまい、チャンスをチャンスとして捉えられなくなるからね。適度に馬鹿がよい。ちなみにオレは大馬鹿だ。
ボクは多くの富裕層をスーパーカー越しに見てきた。彼らは俗に言う成功者だ。彼らの中に優柔不断な性格の人は一人もいない。今、目の前にある案件は自分にとってメリットがあるか否か、デメリットがある場合はどういうものか、それを埋め合わせるにはどういうコストが必要か。そういうことを瞬時に判断し、その場でYESかNOか答える傾向にある。彼らはチャンスは逃したら2度とやってこない事をよく知っているし、成功はリスクの先にあることも知っている。
彼らは何も難しい事をしていない。チャンスを見定め、それを貪欲に掴み、そして誰に何を言われようとも自分を信じ、行動を起こす事。それだけでやがて人生は繁栄に向かう。逆にチャンスに気づかず、リスクを恐れ、何も行動をしない。こういう性質は人生を間違いなく衰退に向かわせるだろう。
あたりを見回すと良い。ランボルギーニやフェラーリに一代で、何のバックグラウンドも持たず、文字通りゼロから自分の力だけで乗る人間は人口の1%にも満たない。つまりスーパーカーに乗ると決めた君の周囲の人間の生き方はほとんどはお手本にならない。そしてそういう人間が常識を作り上げている。ボクが良く言う言葉「常識に逆張れ」。なんとなく理解して頂けると幸いでございます。