ボクはなぜブログを書くのだろう

中学生の頃、破ったノートに未来の自分に宛てたメッセージを書きました。勉強ができなくて苦しんでいる自分。現状から逃げ出したい自分。20歳になった自分はどういう人間になっているのか。そういう想いをそのまま書いて、木箱にしまいました。今でもたまに見返します。14歳のボクが描いていた未来より、今の自分はずっとリッチで、素晴らしい仲間と家族に恵まれていると実感できます。当時14歳のボクが将来ランボルギーニに乗っているなど予想できたでしょうか。こうして過去の自分と通信する術は紙切れだったのです。

現代。ボクの破れたノートはブログに変わりました。今から10年後はどうなっているのでしょう。20年後は、30年後は。その時の自分のために記事を書いています。今の今を克明と記録し、不変なるデータとして残しておくことができる。ブログはある種、タイムカプセルのようでもあります。今ボクが作ったタイムカプセルに娘も参加し、親子で記録を続けています。娘が20歳の、きっと美しい女性になった頃、彼女はこのブログを見て何を想い、そして読者とどうコミュニケーションをしているのでしょうか。こういうワクワクのために今を記録することは生きる喜びの一つになります。

経営をやっていると、人の闇を見る事が多くあります。自分の人生よりも、社員や近しい人の人生に意識が向いてしまうのです。アメリカというある意味隔絶された世界で一人になると気づきます。自分が何をやっていたかの記憶がない事に。あまりに他人を気にし過ぎて自分と向き合えていないということでしょう。ブログはそういう環境から救い出してくれた良きツールです。

段々と自分の人生の密度が薄くなっていることに気づきます。自分だけよければよかった時代はとうに終わり、自分より大事にせねばならない人達が多くいます。しかし自分の人生が力強くなければ他人に良い影響を及ぼす事もできません。この矛盾にいつも悩まされます。

人には生きている実感が必要です。大抵は日々に流され、そんな実感もないまま一日が終わります。ブログはこうした日々にも変化を与えるやっぱり良きツールです。今の子供の笑顔を記憶だけに留めず、ストーリーと共に恒久的に記録できるならば、休日の過ごし方、物事の視点、やがては生き方そのものにも変化を与えます。もっともっと歳を取った時、なんだかどう生きたっけなっていうんじゃなく、確かに生きたという証としてもブログは機能してくれるでしょう。

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