1986年~1992年はAMGの黄金期と言われています。

 

 

メルセデスが投入したV8 M117エンジン。AMGはそれを6リッターに拡大し、エンジンのみならず、ダンパー、ブレーキなどにも手を入れ、ハイパフォーマンスカーを作り上げます。
当時としては非常にアグレッシブな仕様で、多くの顧客からAMGチューンドメルセデスを求められるようになりました。その中の多くは日本人でした。

 

 

560SEC6.0ワイドボディクーペが日本のモーターショーに登場し、AMGは日本の著名な個人、博物館やコレクターからの注文を次々と受けました。

 

 

AMGは顧客の要望に細かく答え、それを実現するために多くの時間とコストがかかりました。それに伴い、車両価格は非常に高額になりました。しかしそれでも顧客からのオーダーは待ち行列が発生するほどでした。小さな工場であるAMGの生産能力はそれらのニーズに答えることはできませんでした。

 

 

メルセデス社はそのニーズを見逃さず、最終的に1993年、AMGはメルセデスの管理下に置かれました。それまでに生産できたM117/9チューンドモデルはほんの僅かです。AMGはその後、メルセデスとの完全統合への道を歩みます。

 

 

AMGがAMGのままで生産したモデルの中で、特異なモデルがこのw126 560SEC6.0ワイドボディです。当初AMGは6リッター4カム4バルブ仕様の560SEC6.0ワイドボディを100台生産する予定でしたが、最終的に、その生産数は50台にも満たなかったのではないかと言われています。

 

 

AMGは現代でもメルセデスチューンド部門としてハイパフォーマンスカーを世に送り出しています。しかしその栄光は、80年代当時、最強の経済下にあった日本とのつながりにより成されたことなのかもしれません。

 

今日。AMGが生産した車両の多くが日本を出て、海外のコレクターの手に渡りました。時代背景から見ても良質なAMG車両が日本には多くあるのです。この560SECワイドボディは世界中のAMG愛好家の中でももっとも人気のあるモデルです。彼らはこれを取得し、空調の効いたガレージで完璧な状態で保管しようとするでしょう。

 

 

しかしここ自動車大国日本では、とある一般家庭の子供の送り迎えや、スーパーへの買い出しにAMGワイドボディが用いられています。

 

 

高い品質で作られたAMG車両は、30年前のものであっても、今なおクルマとしての役目をオーナーに提供し続けています。

 

骨董品として保管するのは愛好家としての喜びです。しかし、希少で歴史ある車両を日常に持ち込むというのもまた、愛好家の楽しみでもあるのです。