今回で自律神経失調症ネタは終了です。ちょっち記事長いっす。さーせん。

 

1月より体調不良に陥り、自律神経失調症とカテゴライズされた。何回かに分けて詳しく書いたが、何も自分の体調を公に発信する必要なかったよなぁと少し後悔している。

しかし記事を書いてから同じ症状に苦しむ人からメールをもらったり、読者、ディーラーマン、プロショップ、取引先など、会う人皆、心配してくれた。ブログはより多く見られる事に価値があるというが、ボクのような個人ブログは、”誰に”見られているかが重要なのかもしれない。

記事を読んだらすぐ離脱。そのサイトが何か、作者がどんな人かなんてユーザーは気にもしていない。そういう淡白なコンテンツ大量消費時代にボクは人の暖かみを感じる事ができた。ブログをやっててよかったと思えた瞬間だ。

 
 

さて、その後の経過を書いておこう。最も症状がひどい時は、足、手、腰に力が入らずベッドから出るのが困難だった。ようやく立ち上がれたと思えば全視界が幾重にも重なり、景色を識別することが不可能な域に。

例えばこういう景色。あぁ美しい。しかし、

ボクにはこう映った。これはまだシンプルな景色だから良いものの、

例えば空港などのゴチャゴチャした景観の場合は・・

こんな見え方になってしまった。もともと視力は良いが、この時は焦点を合わす力も消失。結果的に・・

こんな状態にまで悪化した。うん、よく再現できている。

この状態で雑多な街並みに出ると、パニックを引き起こし、一瞬で疲れはピークに到達。数十分で激しい顔面痛に襲われた。しかし幸いな事に片目で見るとクリアになるので、人と話すとき、外を歩いてる時は常に片目をつぶったり、眼帯をしながら生活をした。それはそれでツラいけど。

左目に激しい違和感。というか左目がほとんど動いてくれない。視界左はほぼ壊滅的に。医者からは内斜視、複視が認められると言われた。

 
 

完治には半年、1年と

どうやらボクと同じ症状に見舞われた人も少なからずいるようだ。中にはボクと同じようにホテルにこもったという経営者までいた。完治までに半年、1年を要したと。医師は、「自然治癒するかも分からない。様子見るしかない。」と。

この状態が1年はキツすぎる

人の目も、顔も、文字も識別が不可能なまま1年も暮らすのはキツすぎる。なにより視界がこうだと頭が働かない。一生このままだったらどうしよう・・極度の不安と倦怠感が四六時中ボクを襲う。

独断で対症療法を中断。LAへ

投薬、マッサージや整体、早寝早起き、運動。いろんなことを試したが、一時的な症状緩和はあれど、むしろ悪化していく一方だった。ボクのいないところで家族会議が開かれ、「パパと話す時は常に右側に立つ事」、「息子たっちゃんが、パパの左目として役割を担う」という決定がなされたようだ。家族愛を感じつつも、このままじゃダメだと。何より仕事ができない。不安が募るボクは環境そのものを変えようとLAへ。

 
 

LA生活わずか2週間で劇的改善

最初の数日間は症状変わらず。クルマがないとどうしようもできないLA生活。必然的にひきこもりに。その間、ご飯はアシスタントが面倒を見てくれた。やれやれ、どんだけVIPだよ。

そうこうしているうちに目の違和感が徐々に消えていった。最初の驚きはテレビが見れるようになった事だ。そして先日、ついに鏡で自分の顔をハッキリ見れるようになった。久しぶりに”自分”に出会えた気分だ。”当たり前”がボクには至福。

 
 

ドライブまで可能に

さぁリハビリだ。BMWに乗り込む。

年始から一度もステアリングを握っていない。やや緊張。

おお・・できる・・運転できるぞー!人間にとっては小さな一歩だが、ボクにとっては偉大な一歩なりぃぃ!

しかし左側がまだ複視の症状が出るが、首の角度で補正が可能。もう・・オレは大丈夫だ・・。

 
 

1日ごとに症状が改善

一日、そしてまた一日。目が急速に自分に還ってくる。それに応じてウツのような症状も劇的に改善した。すべての活力は蘇り、行動を起こせるように。完璧ではないにせよ、通常通りの生活が送れる。

LAの気候、環境が早期治癒させたのか

そんな根拠はまったくない。神経科の医師は「あなたの症状と気候は関係ありません」と言い切った。とはいえ日本を出た瞬間から一転して改善に向かったのは紛れもない事実だ。これについて冷静に分析してみる。

日本帰国前に、極度にダイエットをした

去年末、LAにいたボクは生活改善と銘打って、ダイエットを行った。結果1カ月で6k以上痩せた。これは筋肉量低下を意味する。そしてそれは血流悪化につながる。

そのまま極寒の日本へ帰国。

暖かいLAから、寒さ厳しい日本へ帰国。寒暖差から筋肉が緊張。コリを通り越して麻痺に。強張る筋肉が神経を圧迫し、左半身に痺れ。それが目にまで来たと予想する。東京へ戻ると昼夜問わず仕事脳に。LAはどちらかというとゆったり。こういう急激な差が神経に影響を与えた可能性も。

再度LAに戻ると緊張が緩和

日本ではうんともすんとも言わなかった体が、LAに戻るとバキバキと音を立てる。麻痺してた体が緩んできたようだ。筋肉の強張りが解け、圧迫された神経が開放されていく。LAのゆったりした時間軸も一役買ったか。

多分LAに来なくても治った。でもそれはゆっくり

自分で納得いくように分析すると、LAの環境はスピード回復に一役買ったが、日本でも冬の終わりとともに改善に向かっていったと予想する。もっとも大事なのは適切な筋肉量を保ち、適度に体を動かすことだ。

仕事のストレスとは死んでも言わない

自律神経失調症=仕事のストレスと直結されがちだが、ボクには当てはまらない。会社でいろんなトラブルが発生し、時としてそれはツラいけど、ボクは経営者。逃げることなどできないし、逃げるつもりもない。むしろすべてを楽しくやっている。自分で選んだ道をストレスの一言にしてしまいたくない。もちろん休息は大事だけどね。

実際、ウチの社員でも自律神経失調症を患い、休職を選択する社員がいる。その選択を尊重するが、何か別の原因があるように思えてしょうがない。生活習慣を変える前に仕事をぶった切り、キャリアパスに傷を付けてほしくないとも思う。

一人親方商売の人は気を付けて

今回ボクはこうなってしまったけど、役員やミート君、妻マッキーのおかげで回復に注力することができた。例えば一人で何かやってる人、体が資本の人、つまり自分がいなければビジネスが成り立たない形態の場合、ボクのようになってしまうと致命傷を負う。そしてそういう業務過多な人ほど自律神経失調症は陥りやすい。

世界的な気候変動。毎年寒暖差は広がっていくだろう。今まで以上に体に目を向けてやることが大事だ。

 
 

と、いうワケで自律神経失調症ネタが終了となりますた。ま、ネタと言っても何一つ装飾ない事実を語ったつもりだ。これはボクの人生の記録に。そしてたった一人でもボクの体験を見て回復への自信を持ってもらえればそれほど幸いな事はない。

さぁて帰るか。花粉ざんまいな東京にな!