いつだったかの記録。結局この時から今、何も成長してねえなオレ。

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同い年の役員Cという人間がいる。彼はボクが社会人になって初めてできた友人だった。ボクは順調に社会に揉まれ、やがて起業し、役員Cを会社に誘った。一緒に富を築こうぜって。ほどなくして役員Cはボクの会社に合流した。そこから二人で新たな事業を立ち上げ、収益の安定化までなんとか持って行くことができた。

彼とはとても仲良しだった。ボクらは似通っていて、彼は孤児院、ボクは児童養護施設の出身だった。そういう少しスれた所が相性合ったんだと思う。

会社の事業が軌道に乗った頃、孤児向けのチャリティーをしないかと彼に提案した。親の愛情が必要な時に親から引き離され、集団生活を強いられたボクらだから、お金という力を得れば、そういう子供達の何か力になりたいと思うのは普通の事だったと思う。

さっそくボクらは自分達の出身施設を調べた。結果、ボクが出た施設はずっと昔に閉鎖されていた。けど、役員Cがお世話になった孤児院は未だ顕在だった。

ボクらはその孤児院にアポを取った。原則一般の人は立ち入り禁止だが、施設出所者ということで特別に許可が下りた。孤児を守る施設だからもちろん写真撮影は周辺含め一切禁止。

その孤児院は都内の閑静な住宅街にあり、外観からはそこらへんにある大きな一軒家と変わりなかった。

ボクらを案内してくれたのは高齢のシスター。丸く、小さい背中だったけど、白髪に黒いベール、修道服姿の彼女を前にして、宗教と無縁なボクはなんだか改まってしまった。

驚く事に目の前のシスターは役員Cを覚えていた。何十年も前の、何百人という孤児達の一人であった役員Cに当時の事を鮮明に語り出し、成長した役員Cを見て喜んだ。母が我が子を忘れる事はない。例えそれが数百人だったとしても。

シスターはボクらに全施設を丁寧に案内してくれた。道を隔てた向こうにあるアパートのような建物は中高校生用。すぐ隣にある大きな一軒家は幼児、小学生用と別れていた。

中高生はボクらの訪問に元気よく挨拶してくれた。どこにもでいる元気の良い学生達だった。小学生の施設は子供達がテレビゲームをしていた。ボランティアのスタッフは小さな子を抱えながら料理を作っていた。もう少し遅くくれば一緒にご飯食べれたのにねって言ってくれた。

一つ衝撃的だったのが、孤児院の低学年の多くは日本人の肌の色ではなかったことだ。シスターは言った。仕事を求め日本にやってきた移民たちが日本で子を作り、貧困・差別に合い、国に帰ってしまう。中には強制送還される者もいる。認知さえされていない子供だけが日本に残され、私たちが引き取るのだと。

ボクは肌の黒い彼らを見て、将来を憂いた。異国の血を持つが、話す言葉は日本語のみ。日本に差別があるかと言われると難しいが、確実に”区別”はある。彼らが純血と同等にこの閉ざされた日本社会で強く生きていくには高度な教育を受ける他ない。しかしその土壌が孤児院にはないのだ。

シスターは続ける。本当は子供達を大学に行かせたい。しかしそれは資金面で難しい。だからほとんどの子に充分な教育を与える事ができない。親から充分な愛情はおろか、虐待された子がほとんどで、更に良い教育を受けれなかった子供達は施設卒業後、スグに消息を絶ってしまうと言う。犯罪グループに身を置く子も多いし、ホームレスになってしまって引き取りに行ったこともあると。

国の支援金だけでは施設を回すだけで精いっぱい。学費などの支出はキリスト団体の援助が頼りだ。それでも定期的に国から受け入れ要請が来る。常に施設は孤児で一杯に。多くの子を受け入れるには、多くの子を卒業させなくなくてはならない。たとえその子に社会で生きる力が身についていなくても。

シスターは若い時からこの施設に入り、高齢になるまでの一生を孤児に捧げている。自らも施設に部屋を持ち、子供達と一緒に暮らす。「私は母親だから子供達と一緒に暮らすのは当然よ」と彼女は言う。もちろん彼女にも少なかれお金が支払われているが、彼女はこうも続ける。「私は、私のお金を、私のために使った事は一度もない。すべて子供達のために使うの。教材、文房具、修学旅行、子供達にはお金が必要でしょう」

現状とシスターの愛を知る度にボクは言葉を失っていった。現実は・・壮絶だった。ボクのような小さな企業に一体何ができよう。

彼女は初対面のボクにもよく話をしてくれた。

最初の大量孤児排出原因は戦争だった。その次はウーマン・リブ。そして今のほとんどは虐待。

虐待で入所した子供達は施設を卒業し、社会に出て結婚、子を作り、そして我が子に虐待を繰り返すと言う。貧困と虐待は連鎖する。シスターは一度も”救う”という言葉を使わない。「私の役目は負の連鎖を止める事それだけ。」それには教育が最も重要だと彼女は言った。

「昔、企業を巡って支援を求めたの。どこもダメだった。でも一社だけ大きなお金を出してくれた。」

彼女の強い願いに手を差し伸べたのは・・日系ではなく、アメリカの大手企業だった。そこから強力な資金援助を受け、国の支援に頼らず、その時いた孤児全員を大学に進学させることに成功したという。しかしそれも長く続かない。

「でもね、日本支社の社長がアメリカ人から日本人に変わったの。その途端、支援を打ち切られたわ。」

日本人の彼は冷たかった。とも言った。胸が痛い。これを文化の違いと言い切っていいのか悩んだ。

普通に生活しているボクらは中々気づけないけど、現代、孤児の数は年々増えており、受け入れが追い付かないという。高齢化するシスター。足りない施設に人材不足。それでも増える孤児達。

彼女は肩を落として言った。「日本は・・もうダメね・・」一生涯を孤児に捧げ、数百人の母親で在り続けるシスターの言葉は重い。

施設を出た後、ボクと役員Cに会話はなかった。ボクはショックを受けているんじゃなくて、猛烈な恥ずかしさに襲われていた。寄付すればいい、なんか手伝えればいい。そんな想いはひどく稚拙で、表面上の事で、何も解決なんてしないことを知ったから。本当に必要なのは少しの寄付なんかじゃなく、無関心な社会にこの現状への関心を求める事だと。目先のチャリティー活動は目の前の子しか救えない。多くを根本から救うには経済的に成功し、富と言う強力な力を得て、それを正しい方向へ使う事なのだと思う。あぁ、どうしようもないくらいボクは小さな存在。今の自分じゃ何もできやしない。ちくしょうビックになりたいぜ。

シスターは若い時から、青春を過ごさず、一生のすべてを孤児に捧げる。人種、境遇を飛び越え、孤児全員に無償の愛を与え続けるのだ。高齢な彼女だけど、話し方はそれをまったく感じさせない。彼女を突き動かすのは一つの、負の連鎖をこの世から断ち切るという強い使命。人類に共通の母がいるのなら、彼女のような人を言うのか。ボクはその小さな背中に本当の母を見た気がした。