人生のログ:2020年クリスマス、母の死
人生のログです。人の死に関して語っています。
2020年クリスマス深夜。母が息を引き取った。
兄弟三人と、妻マッキー、イッチーとたっちゃんで母を看取った。体調が悪くなってからこうなるまで早かった。ついさっきまで自分の足で歩いてたのに。母はボクから見た叔父と、祖母より先に逝ったことになる。うーむ、短命と言うのだろうか、いやでも人生長けりゃいいってもんじゃない、母は好奇心に溢れ、最後まで仕事と遊びを楽しんでいたように思う。それでいい。
悲しみはない。母は人生に後悔はナイと言ったんだから、残されたボクが母の死を悲しむ意味はこれっぽっちもない。もし声をかけれるなら「人生の卒業、おめでとう」と言いたい。それに肉体から解放された意識はどこへ行くのか興味がある。友人の素粒子物理学者Y氏から、「意識は量子情報としてこの世に留まり続ける」とも聞いた。まさかね。
以前、母をアヴェンタドールに乗せてあげた。中卒、未成年のまま地元を飛び出してしまった末っ子のボクが、最終的にスーパーカーで帰ってきたんだから、母としては肩の荷が下りた瞬間だったんじゃないかって今になって思う。[clear]
しかしなんだろうな、ほんとうに”死”とはあっけないものだと思った。どれだけ健康志向でも、どれだけ金持ちでも、どれだけ名誉があろうとも、やはり人はあっけなく死ぬ。だからこそ、生きたいように生きていこう。そう思います。
母は良い時代を生き、最後は自分の人生に後悔せず、息を引き取っていきました。良い最後だったと言えるでしょう。
お母さんに有難うですね。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
その通りですね。自分の人生に後悔せず、息を引き取ったなら、これ以上のことはないですね。人はどんなに足掻こうが、死という個体の終わりから逃れることはできません。死は誰にでも必ずおとずれることですから、本人に死への恐怖があるわけはないのに、周りにいる人たちは、オイオイと声に出して悲しんだりするわけです。私も、ゼンセーさんと同じように、人生の終焉を迎える人は、誰であっても笑って送ってあげようといつも思っています。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ヨーロッパを創った、古代ローマの女タラシのカエサルは『自らの考えに忠実に生きること』が大切だといっていたそうです。