先日、娘のスマホを破壊したと書きました。最新型のiphone13proは娘の前で木端微塵となりました。その時ガラス片で負った傷がようやく治りました。流血しながらも破壊という道を選択しましたが、感情任せの暴力的なこの手段が果たして最適だったのか今も分かりません。私自身のアンガーマネジメントができていないとも思いますし、スマホという社会との接点を破壊したこと、などなど、欠点を探せばキリがありません。

壊れたiphone13pro

 

子供にスマホを与える事、それを奪う事は世論でも活発に議論されています。子供にスマホを与えると、友人とのつながり、情報の取得、娯楽、社会性のすべてをスマホの中で構築し始めます。よって、スマホを失うと魂を抜かれたように発狂してしまう子もいると言います。こういった子供のスマホ依存は学校でも大きな問題となっています。いやもはや社会問題です。実際に親からスマホを取り上げられている子は結構な割合で存在します。どこの家庭も一緒ということですね。

大抵の世論では、スマホ利用にルールを課す事。ルールを破れば一定期間取り上げる事。スマホの使い方や意味を教えていく事。スマホよりもっと楽しい事を与える事。そしてスマホを奪う事は逆効果になること。が言われています。私もそう思います。思っていました。

しかし現場で起きている事はこういった世論では説けないもっとドス黒いものです。私の目の前に娘がいます。その娘の目にはクマが出来ており、肩は落ち、塞ぎ込み、覇気はありません。部活をさぼり、学校は遅刻がちに。生きながらに死んでいる。それを目の当たりにした時、もはや私の中で世論はどうでもよく、娘をそうさせている依存物質を破壊する事しか頭にありませんでした。

その後しばらく経ち、娘は良い方に変っていると感じます。部活は行くようになりました。学校が楽しいとも言います。家族との食事で友達の事を話すようになりました。人間関係で悩んでいる事の告白も受けるようになりました。これは人としっかり向き合っている良い傾向だと思いました。夜更かしも今のところ大丈夫。

しかし友達との連絡手段が経たれてしまい困っているのも事実です。でも、その問題には目を向けない事にしました。スマホはもう存在しないのだから、その状況に応じた解決策を模索して欲しいと思ったからです。結果、娘はパソコンにLINEをインストールし、キーボードをパチパチ叩いています。これでいいんだなと思います。

今までは何度もスマホを”取り上げ”ました。確かに娘の状況は取り上げる度に悪化していったと思います。しかし今回は”目の前で破壊”という手段を取りました。例え取り上げられても、物理的に存在しているので精神の依存は解けません。しかし破壊されると依存したくてもその依存先が存在しない。この違いは大きいと感じました。今の娘の顔からは毒が消え、元のぷるんとした子供らしい顔に戻りつつあります。

娘のスマホ依存度は「人として健全な成長を妨げる」ようなレベルでした。もはや末期。そこに破壊という暴挙によって原因物質は除去。今は快方に向かっています。しかしこの状況が続くとは思いません。娘からポツポツと「どうすればスマホをもう一度買ってくれるか」と言われるようにもなりました。いずれまたスマホを与えなければならないでしょう。本当は子供もスマホを持つべきだと私は思います。そういう便利なデバイスが存在する時代に生きているのだから使う事は当たり前なのだろうと。では次、娘にスマホを与えるタイミングはいつでしょうか。

もう「子供にスマホ利用ルールを課し、それを厳しく監視する」ような事はしたくありません。安息の場である家に”疑いと監視の目”があることは家族全員の生活クオリティを著しく落とします。大事なのは、我が子の自制心(自己の健康を自ら害する事をしない)を育てていく事だと思います。それが育ったと判断した時、新しくまた買ってやろうと思います。

今回、私がやったことは、娘にニコチンを投与しておいて、依存するなと言っていたようなものでした。スマホそのものが悪ではなく、子供に安易にスマホを与え、中毒に陥いる環境に置いた私が悪でした。これからは私自身が視点を変え、娘と共にスマホについてよく考えていこうと思います。

以上。スマホを破壊したその後の様子でした。