アイデンティティ崩壊
 この記事は主観で書かれており、ネガティブ表現が使われています。
 
日本に戻り日常を過ごしているんですが、なんだか今までにない違和感を感じます。

ここ4年の間、日本、アメリカを行ったり来たりしています。普通ですと、日本へ帰国した瞬間ワクワク感があるんです。看板も会話も日本語。目の色も肌も価値観も、すべてが一緒。何も不自由なんて感じないし、あれも食べたいしコレもやってみたい。次から次に欲求が湧いてくる。

でもなんだろう、今回の帰国にワクワク感はありません。それどころか、日が経つにつれ、胸が締め付けられるほどの閉鎖感を感じます。日本で何かしたいという欲求は消え去り、できれば家もクルマも必要最低限にして、いつでも脱出できるようにしておきたい気持ちに駆られるようになりました。今、夜の静寂の中で一人何かを考える時間が苦しい毎日です。もはや正常でいられるのはお互いを知り尽くした会社メンバーといる時のみ。

海外と母国を行ったり来たりする。こういう生活を長く続けると、自分が自分であるべきアイデンティティーが揺らぎ始めます。生きてく上での判断の基礎となるアイデンティティーが揺らぐことは、自分が自分でなくなっていくような感覚です。今までの常識が常識ではなくなり、良しとしてきたことが実は違っていた。そういう事が洪水のように押し寄せるのです。

社員と話す時、指示を出す時、当たり障りのない会話をする時。一つ一つの行動すべてを互いの国に最適化した自分に切り替えていかねばなりません。これはとても骨の折れる作業です。

よくカリフォルニアとの二重生活を羨ましいと言われる事がありますが、現実はこの通りです。アメリカと日本の生活はあまりにも違う事が多いのです。意識のズレはやがて人間関係を疎遠にし、同じものを見て語り合えた人と、通じ合えなくなっていきます。自分は何者なのか。人を決定付けるのは肌の色ではなく、その人を形成した環境です。その環境がころころ変わるような生活が健康的であるとは決して言えず、まして羨ましがられるような事でもありません。やはり人はか弱い生き物。ダブルスタンダードで生きれるほど器用ではないのでしょうか。

アメリカに挑戦する前はあまり多くを知りませんでした。ビジネスは日本だけを考えればよかったし、日本の慣習に従っていればそれなりになんとかなりました。それにアヴェンタドールに酔いしれ、群れていれば自尊心も満たされたのです。しかし今、価値観は変わり、これらはボクが本当に求めているものではない事に気づきます。

これからどうするのか。いや、どういう道があるにせよ、歩みを止めるわけにはいきません。例え一人になろうとも、その道が間違っていたとしても。前を見続ける。それこそがボクの最後のアイデンティティーですからね。

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