
ちょっと前、ミート君と男二人で映画に行こうってことになりますた。
選んだのはジョーカーですね。
バットマン好きなボクっすから、もちろんジョーカー単体作品も抑えておかねばなりません。
バットマンの宿敵ジョーカー。そのジョーカーがどうしてジョーカーになったが語られている映画です。
めちゃくちゃざっくりいうと、これは映画というより一人の救われない男のドキュメンタリー。
見どころとか、激しいアクションとか一切ない。特に感情移入するものでもない。
ただ、アメリカの混沌とした時代に生きた悲惨な男の物語であり、ジョーカーの誕生は今のアメリカでも充分に起こりうるんじゃないかって思えるリアルな恐怖を体感できた。
というより、アメリカだけじゃなく、資本主義が限界を迎えつつある証明としての、超格差社会なら、今の世界経済ではジョーカー誕生はどこでも起こりうる事。不景気にさいなまれる国民。社会の隅に追いやられ、命の価値を著しく低く扱われる底辺に生きる人たちの怒りの矛先は金持ちに向かう。一瞬出てきたKill the Rich(金持ちを殺せ)という表現が実に今のアメリカ社会を代弁しているようで納得いった。そりゃぁアメリカがジョーカーの上映で厳戒態勢を敷くわけだ。すべてを失った男ジョーカーがすべてを持つ者ブルース・ウェイン(後のバットマン)と対面するところがボク個人的には刺激的だった。作者は社会のトップは社会の最底辺に駆逐されうると表現したかったのか。
ジョーカーの生い立ちに似たような何かが自分の中でひっかかったよ。
格差は貧困を生み、貧困は虐待を生み、それらはループする。それを断ち切るには・・人々は聖母マリアじゃなくてジョーカーの誕生を期待した。経済末期はこういう事が本当に起こるのかもしれない。
ジョーカーがジョーカーに成り得た壮大な最終シーン。なんだかどっかで見たことあるな、あぁ数年前の渋谷のハロウィン騒動か。あれはきっと若者の遊びなんかじゃなく、心のどこかにある格差への叫びか。