子供達を見てるとさ、たまにいるじゃない。おおよそその年齢では辿り着けない領域にいる子が。特段親がズバ抜けてるってわけじゃないのに、聡明で、落ち着き払い、大人顔負けの会話に、何か悟りを開いたような子ね。

そういう子のママと話すとね、「この子、人生3回目だから」って言うんだって。んで周りのママ達は別に驚きもせず、「ウチはまだ2回目くらいだわ」って言うワケ。

ママ達の間でそういう会話がなされていることを妻マッキーから聞いて、ボクは驚いたよ。大人が理解できないほど高い能力を持つ子供を”周回した人生”という言葉ですんなり理解する。なんて合理的な考えなんだってね。

この考えは仏教にある”輪廻転生”に似ているよね。魂は何度も繰り返すって事だよ。でも、いきなり宗教を持ち出しちゃうとなんでもアリ感ハンパない。ここでボクはふと思った。

万物を説明する”M理論(超ひも理論)”の研究者でもあり、素粒子物理学の教授でもあった友人Yとの会話を思い出してみる。

 

彼は確かに言った。「人の意識も突き詰めれば量子。量子は情報としてこの宇宙に永遠に残る。」(※量子は原子よりも小さい世界の事。原子は量子によって形成される。一番わかりやすい量子は原子核を周回する電子。この世界は古典物理学が通用しない)

だとしたら、人の魂は死後、量子情報としてこの世に留まりつづけ、そして新たな生の誕生時、脳という箱に再度還るのかもしれない。その回数が多ければ多いほど、魂は熟成を重ね、こうして人より秀でた能力を持つ子が誕生するのか。なるほどコレならDNAの遺伝を超えた能力を持つ事ができる。

そして友人Yはこうも言った。「量子力学の世界は解き明かせない謎が多いにも関わらず、おそろしいほど正確だ。コレの完全な解釈には神の存在を持ち込むしかない。だから宗教が非科学的だとは決して言えない。」

結局のところ、輪廻転生を宗教的観点から見ても、科学的観点から見ても、あながち間違ってはないということだ。なにげなく交わされる港区ママ達の会話は実は宇宙の本質をついているのかもしれない。特に深く考えず、魂の周回という思考法によってありのままを受け入れる女性の脳というのもある意味神秘的だぜ。

我が子が他者より劣っていても、それは何も問題ない。自分自身の人生を悲観する必要もない。ボクらの存在は永遠に繰り返される魂の循環のほんの一回に過ぎないかもしれないから。だとしたら、ボクらが生きる道は決まっている。今を生きたいように生きる。ただそれだけだ。

そんな議論を得意げに展開すると、妻マッキーは隣で寝息を立てた。ボクは子供達の寝顔を見に行った。こいつら、人生一回目だなと思った。