今日アルファードで走っててね、なんだかイケイケのクルマが爆走してんなぁって思ったら、ダッジ・ラムバンだった。

ローダウンして、マフラーも変わってて、やけに速いんよ。分かるぜオレには。チューンしてんなって。ノーマルのラムバンの加速があんなに良いわけねえもん。んでよくよく見たら、「アベ中古貨物」っていうステッカー。

ありゃ、アベってあの阿部さんかな。ボクがダッジ・ラムバンを購入したお店、今は無きアイファイブのラムバンマイスターだね。

調べてみたらやっぱりそうだった。世田谷の有名なアメ車屋、アイファイブは無くなってしまったけど、アベさんは独立してショップを運営してるんだね!やっぱどんなジャンルであれ、マイスターレベルまでいくとどうなっても強いんだなぁ。

 

あぁ・・ラムバンかぁ。今でも好きだよ。街中走ってるラムバン見ると目で追っちゃうもん。子供達も「ラムバンだー!」って興奮するんだよ。それはきっと楽しい思い出があったからなんだろうね。

 

当時はラムバンがほしくていろんなとこ足を運んだ。

片道何時間もかけて地方のアメ車屋さんを回ったよ。

 

この当時はマセラティに乗ってたんだよね。

 

たくさんのお店を回って、それでも納得のいくラムバンに出会えなくて諦めかけたころ・・

 

アイファイブですっごい好みのラムバンに出会えたんだ。即決したよ。この時のセールス担当がアベさんだった。

 

すごい好きだったなラムバン。

 

早朝に早起きして写真撮影もした。それくらい好きだった。

 

どこか好きってこのずんぐりむっくりが好きなの。

 

あとなんか素朴なとこ。それでいてV8エンジン、ラダーフレーム、FRっていう変態仕様もよかったね。

 

キャンプとか遠出とかはラムバンの時が一番活発だったな。

 

たっちゃんはまだこんなに小さかったよ。
 

ラムバンってさ、真ん前から見るともはや壁なんだよ。こういうスタイルも好きだった。ボクは必ずしもスーパーカー的なデザインが好きなワケじゃなかったんだ。

 

ラムバンは大きいから、小さいラムバンみたいなエブリィも買っちゃってね。これもすごい好きだった。だって、

 

エブリィのためにスタジオ借りて撮影まで楽しんでたんだもの。ここまでしたのは今も昔もエブリィだけだよ。もちろんケーニッヒが完成したらやるけどね。カーライフの中でもっとも好きだったのは軽自動車のエブリィなのかもなオレ。

 

でもこのあたりでついに初代アヴェンタドールLP700マルーンアプスカラーを手に入れたんだ。そりゃぁもう人生変わったよ。エブリィなんて乗ってられるかよってさ。

 

アヴェンタで価値観が変わり、エブリィはスグにG63に姿を変えたよ。

 

ちょうどこの頃から単身アメリカに挑戦し始めたんだ。語学学校初日に目の前で事故があったりしてアメリカこええなって思ったりもした。

 

この時はまだホテル滞在でがんばってたよ。

 

やがてボクはアメリカで部屋を借り、引っ越し業者がバックれやがって床で寝た日もあった。日本に帰りたいってシクシク泣いてた。

 

Siriと英語の勉強しててさ、全然聞き取ってくれなくていろいろ心折れた。

 

それでもなんとか生活を作り、

 

アメリカで初の自家用車を取得したりもした。
 
でもアメリカ生活のストレスは結構あって、日本に戻ったら乗り物をたくさん買ってしまった。

 

ボロい別荘も借りてね、子供達に自然を味わせてやった。

 

ラインナップは最強だったけど、なんだかとてもツラくもあり、暗闇をもがいてるような時期だった。

 

でもアヴェンタドールで新しい仲間もたくさんできた。とてもエキサイティングな時期でもあったんだ。うーんやっぱりアヴェンタかっこいいな。このクルマのインパクトを超える者はそうそういねえ。

 

そういう人生の激動の時期でもラムバンだけはずっと存在してたんだよね。

結局ね、ラムバン・・一度も壊れなかったよ。耐久性が高かった。電気系統に日本メーカーのパーツを使用してるのもポイントだったんだろうね。

 

もう一度乗れるなら・・やっぱり乗りたいなラムバン。

目の前を爆走する黒いミディアムのラムバンを見て、そんな想いにひたってました。でも今ボクが握ってるのはアルファードのステアリング。あぁやっぱりコレでいいや・・。