スーパーカーオーナーの苦悩
「突然イヤんなったのよ全部が。自分が。脳がオレに反発を始めたみてえだ。すぐにあらゆるものから距離を置いたよ。家族さえもな。」
「妻が病気になってね。そんとき考えたよ。金なんていらねえよって。」
どちらも仲間のスーパーカーオーナーの最近の言葉だ。いくつものスーパーカーを乗り回し、誰もが十全十美を認めるような彼らから、そういう言葉が出たのには驚きを通り越してむしろ好奇心が湧いた。それが不謹慎と知りつつも聞かずにはいられない。だってそうでしょう。いずれボクだって通る道かもしれないんだから。
詳しく書ければいいが、この文さえ許可を取っていない。でも成功が苦難の上に成り立つのであれば、彼らの言葉は、彼らの位置を目指すボクのような人種にとって、何よりも聞いておくべきことだ。少しくらい書いても彼らは何も言わないはず。
「親の事業がダメになりそうでね。自分が築いたもの全部捨てさって再起をかけたよ。そっからは生きるか死ぬかの戦い。でも不思議とな、もうダメだって時に仲間に助けられるのよ。結局そうやって突っ走ってきちまった。社員、その家族。そういえば自分の事なんて考えたこともなかった。ガソリンが切れたんだよ。今。俺は一人になりたい。」
F氏はすべてを遮断するために1億近くを投資し、静かな邸宅で自分だけの時間を過ごす。
「よくなったよ。だいぶな。1億?安いものだろ。自分を守るためなんだから。」
F氏を今まで単なる金持ちとしてしか見てなかった自分の人間力のなさに絶句した。氏と知り合ったのが4年前。この数年間、俺は何を見てたんだってな。自分を棚に上げ、他人の事を”薄っぺらい奴だ”なんて罵倒したこともあった。だから氏の言葉には殴られたような気分になったよ。自分こそカツオ節の一切れしか拾えない人間だったって。そう気づかされた。
「スーパーカー?いやほんとは興味ないんだよ。でも病室の妻がかっこいいクルマだね。ドライブ行きたいね。って言うんだよ。オレ、痩せただろ?妻がカッコイイって言ってくれるんだ。」
T氏と最後に会ったのは2年前のランボルギーニツーリング。随分と痩せてカッコイイおじさまになっていたのにビックリした。最初は誰か分からなかったくらいだもの。もちろんみんなにイジられてたよ。女でも出来たのかぃ?ってな。そんなイジりにひょうひょうと乗れるところがセレブ特有の心の余裕。いや余裕じゃない、事実と裏腹な事を笑って返せるほど、心の闇は幾重にもコーティングされているってことだ。
彼らは決して感情的にならない。苦労話や重い話であっても周りの空気を壊さず、時に笑顔さえ見せながら話す。彼らは同情かわれるステージにそもそも立っていないし、どれだけ苦労してきたからこそ持ち得る屈強な精神はボクなんか比べ物にならないくらい圧倒的だ。
「ぜんせー。お前も突っ走るからな。気を付けろよ。オレみたいになるぞ。」
警告のように聞こえたけど、むしろ先人のやさしさに触れたような気がした。たぶん、誰にも言わなかった事をボクには伝えてくれたから。ええもちろん、しかと警告受け止めます。
「お前何目指すの?」
「ボクは目下社員100人っす。」
「100人なら400人と思え。社員、子供、親、家族全部までを視野にいれろ。」
「・・・」
ぬぅ重い。でも重ければ重いほどやってやる。それがボクのモチベーション。彼らの苦難はやがてやってくるボクの苦難。先人の知恵と経験に触れた以上、ボクは彼らを追い越す義務がある。いつか彼らに、「ぜんせーよ。俺の屍を超えてゆけ」と言わせてやろうじゃないか。
スーパーカーオーナーの心は幾重ものペルソナで塗り固められている。数年前、彼らに「お前は怪しい」と言い放たれた。彼らはスーパーカーで乗り付け、セレブのバカ騒ぎを演じながらも、実はすべてを視野にいれ、ジャッジしている。無意識に。表面的なところだけを見てもその人を知ったことにはならないってことさ。そして今、彼らから「一緒に仕事すっか」と言わせている自分を少しねぎらってやりたい。
なんでもネットで解決できる現代なんてよく言ったものさ。本当に知るべき事は心の奥。それは浅い情報で埋め尽くされたネットになんて落ちてるはずがない。やはり人は人と向き合い、初めて人間になれるんだ。