毎年冬は体調を崩す。おととしはインフルにかかり、救急車で運ばれた。

今季も例外ではなく、安定した気候のロスから、寒波押し寄せる日本に帰国した去年末。
ひどいアレルギー症状に見舞われ、加えて溜まっていた仕事のおかげで年末年始もこれといった休みを取ることができなかった。

年が明け、トドメと言わんばかりに強力な低気圧が訪れたその時、視界が急にボヤけた。目の焦点が合わず、景色を景色として認識できなくなった。
対向車が目の前を走っているように見え、路上を歩いている人がボクの目の前にいる。左目を動かしている感覚がない。クルマの運転を止め、スグに病院へ向かった。こうしてボクは出口の見えないトンネルに放り込まれた。

内科から始まり、眼科と回るが目ぼしい原因は分からず。さらに悪化する視界と激しい倦怠感、末梢神経の痺れに精神もやられた。極度の不安障害に見舞われ、起きてもベッドから出られない。歩こうにも四肢に力が入らない。懸命に視点を合わせようするおかげで筋肉疲労を起こしたように顔面全部が痛い。思考することはほぼ不可能で、誰かがボクに発した言葉はそのまま捨てられてゆく。生きるために必要な機能が日に日に削り取られていく感覚。とりわけ目の異常は顕著だ。両目で見るとほとんど世界を認識できない。(見えているけど認識できないそんな感じ)

救急で受診した。一人の神経内科の先生がボクを診た途端、3人の若い医師を招集した。それぞれがボクの全身を棒で叩いたり、目の動きをチェックする。

眼球障害が認められるということで、すぐさまMRIを取った。全員一致で脳梗塞を疑っている。入院の準備も行われた。しかし結果はクリア。MRIに何の異常もなく、血液検査もキレイなものだった。もっと重症な患者はいるんだぞという捨て台詞で先生達は飽きれたように引いていった。

それから数日間、ボクは自宅で塞ぎこんだ。食べ物も喉を通らない。寝つきも悪く、欲という欲、すべてが喪失。活動エネルギーが失われ、残ったのは根拠のない不安と、識別不可能な世界だ。人間、ほとんどの情報を目に頼って生きている。それが阻害されるわけだから平常心を保つことなどできまい。

しかし概ね予想はついている。この症状は自律神経系からくるものであり、その主な要因は過度のストレス、疲れ。であると。自律神経は人間が生きるための機能ほとんどを担っているわけだから、これに異常をきたすとどうしようもないことになる。症状をまとめておこう。

・目の焦点が合わない
・激しい倦怠感
・フラつき
・末梢神経の痺れ
・排尿の違和感
・三大欲求消失
・笑顔消失
・意欲消失(何もしたくない・できない)
・体に力が入らない・歩けない
・首と肩がガチガチ
・痩せてゆく
・根拠のない不安(死にたいなどの希死念慮)
・根拠のないイライラ
・一度寝ると12時間以上
・寝てもやってくる眠気。しかし眠れない
・思考不能
この症状がある日突然、怒涛の勢いでやってくる。

ミート君と役員Hが自宅に来てくれた。彼らは震える子羊のようなボクを見て、結論付けた。「普通通り会社に出社せよ」と。つまり、ボクの活動エネルギーの源は会社にあると。彼らはそう言う。

翌日、ボクは重い体と現実離れした視界のまま出社した。眼帯をして、片目で見れば世界は幾分それらしく見える。社員みんなが声をかけてくれた。笑うこともできた。移動はミート君や妻マッキーが代わりに運転してくれた。この日は日本スーパーカー協会の理事との対談だった。彼との対談は刺激的で、とても考えさせられた。良いリハビリだったのかもしれない。

気づけばフラつきはなくなり、イライラ、不安なども消失。精神は安定した。食欲も戻り、普通に笑えるようになった。依然として視界不良だが、それも前日よりはずっと良い。意欲も湧いてきた。やりたい事を感じれるのがどれほど幸せなのか。

ウチの社員に、元バスケ国体選手がいる。過酷な訓練を行った経験を持つ彼女は良いペインクリニックを知っており、ボクと同じように自律神経系で悩む一人だ。さっそく紹介してくれたクリニックに行ってみた。

先生はボクの置かれた状況をよく理解してくれた。興奮や覚醒を司る交感神経とリラックスさせる副交感神経。首筋と肩に神経ブロック注射が打たれた。交感神経を抑制し、副交感神経へのスイッチを促すという。すぐにやってくる鈍重感、肩の緊張は落ち、一時的に視界が良好になった。一瞬喉の筋肉が麻痺し、声がでなくなりパニくった。それも40分ほどで解消され、その後2時間、体すべてがリラックスした。

血流は大事だと先生は言う。寒さは血流の流れを阻害し、体ぜんぶを緊張させると。イヤな寒さな日本。寒冷ストレスというのは思った以上に負荷が高いらしい。完璧な気候のロスからこの時期に帰国したことを後悔する。

帰宅すると娘が「パパ、いつも通りの顔に戻ったね。」と一言いった。感じた事をそのまま発する子供の意見は重要だ。これは回復の兆しにあるということだ。暗いトンネルに光は差した。あとは光に向かって歩けばよい。しかし向こう数カ月はクルマの運転ができそうにない。これは相当のストレスになりうるが、来るアルファードの助手席を堪能するには良いのかもしれない。 

ボクの分身である役員Hも数年前、ストレスからくる脱毛症を患った。ボクらは借金と、なんの後ろ盾もないところから必要に迫られて起業した。巷に溢れるキラキラのスタートアップではなく、まさに絶望からのスタートアップだった。マイナスとも言えるスタートから成功へ持っていくには荒野に花を咲かせるようなものだ。そのために彼とボクは体の一部を犠牲にせねばならなかったのか。いいや、人間は可能な限り健全に生きるべきだ。仕事とプライベートのバランスを適正に保つこと。間違っても何かの代わりに体を差し出すようなことがあってはならない。

しかしボクのように社会の底辺から数年でアヴェンタドールへ駆け上がっていくには体を戦闘マシンのようにするしか術はなかったのかもしれない。ボクに特別な能力など何もなく、あったとすれば止むことのない反骨精神だけだ。持たざる者から持つ者へ。なき者から富める者へ。思えば心の回転数が上がりっぱなしの数年間だったように思う。だからボクは繰り返し言おう。起業など決してカッコイイものではない。ってね。

海外に進出し、アメリカに打ちのめされ、多種多様な人間と働くようになった。多くを知り、今は”あえて持たない者”への渇望がある。何をするにしても変化には痛みを伴うものだ。ストレスや疲れで片付けてもよいが、この暗いトンネルを抜けきった時には新しい自分に出会える。そう信じて、ステアリングを自分で握れる日を目標に今日も片目で生き抜こう。 
 
 
 

※ボクの事例を自分の体と重ねないよう。同じような症状があってもしっかりとした病院を受診するようにしましょう。