たぶん、マニアの中でもマイノリティな存在。80、90年代ネオクラシックベンツ好きの、その中でもw126シリーズにしか興味がないという偏った人々。一般大衆は素通りしても、彼らだったら会話を止め、立ち止まっては若き日の想いに浸るに違いない。そんな画像。

 

w126 560SEL キャラット・ケーニッヒ、そしてAMG 560SECワイド。この現代に、30年前と同じ姿で走行を続けるこの2台が並ぶ姿はそうそうない。おぉっと分かるのかぃ?君もマニアだねぇ。知ってるぜぇ、CVT、デュアルクラッチ、FF、電子制御、全部興味ないんだろぅ?いつも頭の中、ミッションOHいつしようかなだろぅ?現代のAMGが、過去のそれとは別物だって叫んでも、誰もわかっちゃくれないこの価値観。それでもやっぱり叫んじゃう。オレ達そんな生き物。

 

 

ちゅうわけで今日はケーニッヒの試運転と、

 

560SECワイドを走らせた。

 
 

AMG 560SECは非常に素晴らしい。いくらケーニッヒがスーパーチャージャー搭載とはいえ、トルクは全域でAMGが勝っている。いくらケーニッヒが直管の抜けが良いマフラーだったとしても、AMGのレスポンスには敵わない。ボディの一体感も、ステアを切った時の反応も、何もかもAMGが勝る。

 
 

M119ヘッドのAMGは現代の大排気量らしさがある。M117エンジンのフィーリングとは似ていない。それが良いのかは分からない。少なくとも、M117ハンマーヘッドエンジンの方が”味”があった。不安もあったけど。そういえば人生初の免停は、

ハンマーヘッド560SELの時だったな。

 

当初オレは、

AMG E60に夢中。このクルマからナンバー「6」が始まったんだ。6リッターの”6”。このナンバーはそれから先の所有した全部のクルマ、果てはアヴェンタドールにまで引き継がれた。

 

w124 E60の少しあとにw126 560SELハンマーがやってきた。この時気づいたよ、オレはw126の方が好きだった。w124は小さく、迫力に欠けた。クルマが趣味なら趣味車らしく、どーんと大きくて、希少性が高いクルマがよかった。

w124 E60は実家の車庫に仕舞い込んだ。いつか情熱が戻るだろうと思ったけどその時はこなかった。満たしてくれたものはw126にはたくさんあった。だからたくさん乗った。

 
 

でも最後はケーニッヒに行き着いた。それでよかったと思う。この年代のAMGは骨董化してきていて、顕著な値上がり。思う存分乗るにははばかれる現実。

 
 

ケーニッヒはいいね。この中途半端さとハリボテ感。AMGには純正保存の楽しさがあるように、ケーニッヒはイジれる楽しさがある。今ってケーニッヒっていう定義があいまい化してるから、純正にこだわらず、好きなように組み上げればよい。どうせ何を持って”純正”かなんてない世界。それがケーニッヒワールド。君がケーニッヒといえばそれは全部ケーニッヒ。

 
 

たまに忘れた頃にぴょこっと中古車市場に現れる。それがケーニッヒ。たいてい数か月顔を出したまま、これまた忘れかけた頃に消えている。こんなゲテモノカーでも、根強く、しかも強烈なファンを持つのがケーニッヒ。

 
 

たいてい見た目はいいけど、実は程度難のタマがほとんどのケーニッヒ。期待と裏腹に所有した瞬間あなたを整備地獄へご案内。エアロ割れとは一生のお付き合い。それもケーニッヒ。

 
 

そうだ。ケーニッヒにはレカロCクラシックが、AMGにはCSEがインストールされている。ノーマルシートと比べると、やっぱりレカロのほうがホールド感があって、安心につながる。最初は違和感あったけど。

 
 

状態の良いAMGからケーニッヒに乗り換える。ケーニッヒの程度の悪さをヒシヒシ感じる。細かくは分からない。ただの感覚。多分、こんな状態にまではケーニッヒは永遠に行きつかないだろうなって思わされるような。

 
 

あ、言うの忘れてた。この記事はPCで見ると大きな画像で閲覧できます。あ、やべそろそろ寝なきゃ。