先日は娘イッチーが勉強したしてないでマッキーが教育に嫌気を指し、家出した。しょうがないんでボクが娘と話をした。

受験に向かって勉強しているが、依然として総合的な点数は低いまま。妻マッキーの焦りも分かる。対してイッチーはやることやらずに隠れてTV見たり、遊びを優先したり。そういう目の前の快楽に流される子供の行動も理解できる。親の目論みと子供の精神の釣りあいが取れていない。これはとても難しい問題だ。

怠慢さが溢れ出る娘に対して、すべてを諦めるように促した。塾もテニスも習い事なにもかもを無に帰すと伝えた。受験は諦め、あとは自由に生きて行けと目の前で塾のプリントを破り捨てた。娘は泣き叫んだが、意に介さず次々に資料を破り捨てた。

しばらくクールダウンの時間を与え、部屋に娘を呼んだ。席に座らせホワイトボードを使って次のように説明をした。

まず、”偏差値”という言葉を「頭の良さポイント」として分かりやすいように説明した。

偏差値30、40、50、60、70とポイント別でレベルを分け、勉強が全然できないステージから、まぁまぁできる。普通にできる。めっちゃできる。天才。っていうステージに分けた。そして今のイッチーは「頭が悪い」部類にカテゴライズされることをハッキリと認識させた。

翌朝、妻マッキーに娘は、「自分の今いるポジションが分かった。もう一度必死でがんばりたい」と申告があったようだ。

何が功を奏するのかは分からない。子育てに答えなんてない。でも、間違っている事は間違っていると分からせ、自分が今いる位置はどこなのかを理解させ、やるべきことを示してあげる事が重要なんじゃないかと思う。

しかし心は痛む。子供を怒っても、他人を怒ってもだ。できればおおらかに、人を否定せず生きていきたい。でも無理だな、社会にも会社にも、家庭にも、”秩序”が必要だ。秩序は愛や友情よりも優先されるべきだとも思う。秩序を失い、一瞬で崩壊した組織を何度も見た。家庭も一緒だ。パパが秩序を守る役目を担っているのなら、心を痛めながらも力で抑え込むのが時には必要なんだろう。

可能であれば子供達にはボクとは違い、高い次元で生きて欲しい。特に娘は女の子だから、男尊女卑が根強く残る日本でしか生きられないような子になってほしくない。日本語能力しか与えられず、低い学力のまま生きていくには、この国はあまりに残酷。それを肌で感じてるからこそなのか、ママの子供に対する教育熱意はスゴイ。怒鳴りながら子供と一緒に数式を解くママの態度は、我が子への深い愛情そのものだと感じた。

という子育て中の胸のうちでした。オチがなくてさーせん。