20代前半の頃、何をしていましたか。ボクは17歳から社会に出て単純労働者として働いていました。いつもこの生活から脱却したいと思っていた時に閃いたのがITエンジニアになる事でした。ガラケー全盛期、コンパクトなHTMLを書いてUPするだけで金が稼げた良い時代。ボクはインターネットの仕組みそのものに興味を抱き、ネットワークの世界に入り込んでいきました。当時のIT業界は技術者が少なく、専門スキルさえ持っていれば学歴も何も関係ない時代だったのです。

2進数による計算や、高度に設計されたTCP/IPの世界は学のない自分には習得が困難でしたが、図書室にこもり、来る日も来る日も勉強にいそしんだ事を覚えています。やがてそれは身を結び、IT技術者の資格を得るに至りました。明確な卒業式というものを味わった事がないボクにとって、この資格は人生を変える事になります。失われていた自信は蘇り、高校を卒業していなくても大学に入る事ができる公的試験、「大検」に挑戦。1カ月の猛勉強で全12科目をパスし、通信制の大学に入学することができました。もう24歳になっていました。努力と無縁だった自分にとってこれは快挙でした。今の時代、努力だけではどうにもならないかもしれないけれど、努力なくしてはやはりこれもどうにもならないのです。

当時ボクがよく使っていたネットワーク機器のメーカーが”シスコシステムズ”でした。この会社は米国カリフォルニアにあり、企業ロゴはゴールデンゲートブリッジがモチーフとなっています。当時のボクはシスコ社に憧れていました。何故だかよく分からないけどクールだったんです。ブランドに魅かれる年頃だったんですね。

 

そして今、ついに生でゴールデンゲートブリッジを見る事ができます。ボクとミート君はベイエリアからUberを拾い、ゲートブリッジに向かいました。

 

橋のふもとまで来ると、所詮単なる大きな橋であることに気づかされます。ゴールデンゲートブリッジは自殺の名所としても知られています。この高低差から飛び降りれば例え下が海であろうともコンクリに激突するのと同等の衝撃を受けます。もちろん死にますね。今は自殺防止のネットが敷かれています。

 

写真ではなかなか伝わりませんが、素晴らく広大な景色でした。ボクとミート君は会話もなく、しばらくぼーっと見入っていました。

 

観光客もたくさんいました。

 

ビジターセンターも充実。

 

ほんの少しの滞在でしたが、とても満足できました。20代の自分の想いに今答えられたんだと思うと感慨深いものがあります。それに観光で訪れたのではなく、ビジネスの一貫としてこの地を踏めた事がなによりでした。観光ならどんな目的地もたやすく行くことができますからね。

 

もちろん仕事ですから用事が終われば帰ります。ボクとミート君はその足で空港へ。LAの夜景はやっぱり素晴らしく、巨大な都市であることを実感できます。地価が上がりすぎてしまったサンフランシスコ。今はLAのベイエリアが第二のシリコンバレーとしてIT企業の進出が進んでいます。身をおくべきはどちらなのか。いやそんなこと考える前にボクにはもっとやるべきことがあるのでしょう。

ミート君とゆくサンフランシスコの旅。これにて終了ぅ。次回からは「ミート君とゆくラスベガスの旅」スタートぅ。