ランボルギーニ・アヴェンタドールSVJの売却を最後にスーパーカーライフを終えた。今はどのような価値観に変わったか、レポートしてみたい。

 

スパカライフの終わりと共に

まず大きな変化として、クルマそのものへの考え方が変わった。合理さを求めるようになり、スタイルや高価な装備、ブランド、エンジンスペックにまったく興味を持たなくなった。できればあらゆるシーンで使えて、損のないクルマを欲するようになった。アルファードなんて最適解。

 

位置づけの変化

ずっとアヴェンタドールが趣味車としての位置づけだった。今はネオクラシックベンツだけでよくなった。誰からもスゴイクルマとして認められてこその趣味車だぜぇって思っていたところもあったが、今では自分が好きなクルマに乗ってれば良いと思うように。例えそれがポンコツケーニッヒでも。

 

クルマ情報に疎くなった

見事にクルマ系ニュースを見なくなった。いつどのメーカーで新型車が発表されるのか、特にスーパーカー系は注意深く見ていたけど、今はもう何の情報も得ようと思わなくなった。

 

ノイズが減った

アヴェンタドールを所有していたときは相場がすっごい気になってしまった。買った事が正しかったのか否か、自分の選択に悩むことも多かった。一番ツラかったのは、乗らずに置いておいただけでどんどん価値が下がっていく事。無理して乗ってたところがあるから心に余裕が持てなくなっていたんだね。今ではそういうノイズがなくなり、頭はスッキリした。

 

クルマ好きとして好きなクルマを選択

いろいろなクルマを乗ってきた。飽きたクルマもあるし、泣く泣く手放した事もある。でもやっぱりクルマというカテゴリは一生好きでいると思う。アヴェンタドールが一生涯好きなクルマで在り続けて欲しかったけど、自分を突き詰めていくとスポーツ車そのものにそこまで熱意がなかったことが分かった。結果的に選んだのはニッチ中のニッチ、ネオクラシックベンツというカテゴリだった。でも今はこれで本当に満足している。

 

時間の価値観が変わった

子供が習い事に行ってる間一人でいる時間があるときはアヴェンタドールに乗った。今はもうそういう事はできない。たまにポッカリと空いた時間を違う事に費やす事ができるようになった。これはとても大きな変化。街に出たり、新たな創造に時間を割いたり、別の視点を持てるようになった。それは何か一つの呪縛から解き放たれたようでもある。

 

家族との時間が多くなった

家族との時間が大幅に増えた。スーパーカーは二人乗りだから今までは自然と家族と一緒にいる時間が削られていたって事になる。これも実に大きな変化。それに伴い自分の反省点が浮き彫りになった。子供と深くまで向き合えていなかったのではないか。実はもっと子供達に与えねばならないことがあったのではないか。子供達との時間が増えた分、悩む事も多くなった。でもこれは決してイヤな事ではなく、むしろ悩みを解決すべき道を探る事も楽しいと思えるようになった。

 

普通でいたいと思うようになった

なんだか今までが普通じゃなかったように思う。アヴェンタドールで街を走れば多くの人目をさらった。普通に生きてりゃ街を走っただけで人目をひくなんてことないのにね。そういう体験は自分の考えを良い方向に変えた節もあるけど、自分自身の能力はアヴェンタドールにまったく追い付いていなかったなぁって思った。今は主張無きカーライフに変わり、なんだか体全部が軽くなった。違う世界に思い切って飛び込んでも怖くない。そんなような。

 

見栄。だったなと実感

アヴェンタドールを目標としていた時もあるけれど、いざスーパーカーライフを終え、振り返ってみると1台目以降のアヴェンタドールを維持するモチベーションは見栄だったなと思う。
なんだか見栄を張るっていうと聞こえが悪いけど、結果的に向上心を伸ばすキッカケとなったからボクにとっては良いことだったけど、1台目でやめときゃよかったという後悔は少しある。

 

まるで違う趣味へシフト

先に述べたようにスーパーカーライフを終えて家族との時間が増えた。それにより子供と向き合えているつもりでも向き合えていない現状を知った。休日は一緒にクルマに乗るんではなく、何か家族が一つになれる趣味を模索するようになった。これについては後程別記事にまとめる。

 

アヴェンタドールとの日々は夢のようだった


ランボルギーニディーラーの門を叩き、三台に渡って乗り継いだアヴェンタドールとの日々。それを失ってみて、振り返ってみて、改めて夢のような時間を過ごせたと思う。夜な夜な仲間達と集まったり、一緒に走ったり、新型車の品評会はとても楽しい時間だった。なんだか高校生時代に悪友とコンビニにたむろするようなそんな感覚。大人の青春だったのかもしれない。