コロナに感染しました | もう私に自由はない。検疫法の下において隔離 | 個人の自由など公衆衛生の前では無に等しい
コロナ陽性者は臨時の待機所に送られた。私のあとにも陽性となった人がパラパラとやってくる。何食わぬ顔をしている人もいれば、横たわり、ダルそうにしている人もいる。
数十分待ち、診療室へと誘導された。診療室といっても、突貫で作られた簡易的なブースだ。固く、小さなベッドがパーティションで細かく分かれ置かれている。陽性者の発生が想定を超えており、ドクターが足りないらしい。診察まで更に待たねばならない。弁当が支給されたが、この状況下では食べる気が起きなかった。
隣のブースにいる人と情報交換をした。若い女性だった。前日までPCR陰性だったのに何故陽性になったのか腑に落ちないと言っていた。テキサスに滞在していたが、帰国はロサンゼルスを経由することを選択したようだ。PCR陰性後から飛行機にしか乗っていない。そこで感染したとしか思えないと彼女は言う。
ほどなくして彼女の元に女医がやってきた。いくつかのやりとりがされた後、ホテル隔離となり診療室を去っていった。そしてスグ、新たな陽性者がやってきた。中国の方のようだ。すぐにベッドに横たわってしまったところを見ると、容態が悪化しているのだろうか。
それからも一人去り、また一人去り、そしてようやく私のところにドクターがやってきた。手際よくコロナについて説明がなされた。コロナの症状は山を描く。今無症状だとしても、それは山を迎えてないからであり、明日、発熱し容態が悪化する可能性があると。なるほど、よく理解できた。
ドクターは私が喘息持ちであることに言及した。喘息はコロナを悪化させる大きなリスクの一つだと言う。無症状であれば陽性者用のホテルに隔離することになるが、私の場合は病室隔離が望ましいとのことだった。
病室かホテルか、どちらかと言われるとホテルの方が良い気もする。しかし、陽性者用のホテルはほぼ一杯。おそらく狭い部屋が当てがわれるだろうとのこと。病室隔離であればなるべく広く、窓が設置されているところに入れるよう配慮してくれるとのことだった。患者の事をよく見てくれる。とても良いドクターだ。
ドクターは感染経路についてはまったく触れなかった。「どこで感染したかなんて誰も分からない」と言う。毎日多くの陽性者を相手にしているドクターからすると、感染経路などどうでも良い事なんだろう。
私はオミクロンなのか?と聞いた。株の種類については分析をしなければ分からない。その分析には長い時間がかかる。よって正確な事は言えないが、オミクロンで間違いないでしょうとドクターは言った。
空港検疫を務めるこのドクターは、ある時を境にデルタ株から一瞬でオミクロンに変わったと言う。と、同時に陽性者が急速に伸びている。この状況には現場も驚いていると。
また、オミクロンが軽症だという事はドクターの口からは聞けなかった。それどころか、これからハッキリ症状が出てくるだろうと警告された。
しかしワクチンを接種している事に加え、インフルエンザの予防接種をしている事を知ると、もしかすると何も起こらず終わる可能性もあると訂正された。インフルの予防接種がコロナに効くのだろうか?
ドクターとの話が終わり、病室に隔離されることが決定した。しかしすでに深夜1時。羽田到着18時だから、もう7時間も経過していた。深夜だと病院側が受け入れできない。仕方ない、私は羽田空港の隔離室で一夜を過ごすことになった。
[clear]最後にドクターから書類が手渡される。
「隔離決定書」
これから私は、検疫法の下に拘束されることになった。書類にはこう記されている。
隔離の処分を受け、その処分の継続中に逃走した者は、検疫法第35条第2号の規定により、1年以下の懲役又は100蔓延以下の罰金に処される場合がある。
なるほど。検疫で引っかかると、もう自由はない。仕事、子供、家族、個人の都合など公衆衛生の前では無に等しい。
次回へ続く。