みーとくんですよ。

脳神経学をマーケティングの分野で応用している専門家と以前仕事で関わっていた。

最初の記事はやっぱり愛車遍歴かなあ。歴代の車との出会いとか、決め手とか!とかとか悩んでいる雨の昼下がり、ふと彼のことを思い出した。

「ものを買うという判断は実は原始脳が行なっている」
そんな彼の言葉を頭の中で反芻していた。

「買いスイッチ」を支配する原始脳

自分も新しい車買うとよく聞かれるし、仲間が買うとき逆に聞く。「なんでその車にしたの?」

ふむふむ。
0−100の速度やべー、と。
カーボンバスタブ構造やべー、と。
ドアが上に開くし、と。

でも果たして本当にそれが買った理由なのか。氏曰く、買うプロセスにおいては脳の層にそれぞれ違う役割がある、と。
新しい脳:考える脳。情報を合理的に処理する。
中間の脳:感じる脳。感情や直感を処理する。
原始脳:買いスイッチを支配する脳。他の二層の判断は考慮するが、最終的な意思決定を行う。

そして一見買った理由は正当に見えても、実は原始脳がとっくに意思決定した内容を、後から上の層の脳が正当化しているにすぎない、とのこと。さらに言うなら原始脳は名の通り原始的なのであまり難しいことはわからないし、自己中心的な判断をするし、さらに感情のみが引き金になるとのこと。

まあこれもどんな購買行動にもあてはまるってわけじゃあないだろうけどね。うまい棒買うときに「原始脳・・・原始脳がめんたいこ味を求めるのぉぉぉ!」ってはならんしね。

でも今まで買って来た趣味性が高い車にはあてはまるかも。買った理由聞かれた時は模範解答的にサイズ感が〜とかスペックが〜とか答えるけど多分本当の理由はそうじゃない。

ということで振り返ってみる。自分にとってエンスーカーライフの原点はマセラティグランスポーツ。

そうそうこいつ。横浜の中古車屋でエンジンをかけた瞬間、もう買ってた。原始脳が。
すぐ営業マンに買うって伝えたっけ。で、値段交渉している間に他のお客さんが車覗いているのを微妙にブロックしつつまだ自分のものにもなっていないのに変に所有権主張してたっけ。これ、売りもんじゃねえから。売りもんだけど。
もう値段とかスペックとかそういうのは後付け。理屈抜きで欲しかった。

お次はこれ。

もはや説明不要。4.7LのAston Martin V8Vantage。下見予約した時点で脳内では買ってたね。こんな美しい車ないでしょ。

そして今乗っているこいつ。

あ、でもこれ書きながら気が付いたけど、この540C買った時は原始脳の動きは感じなかったなあ。
多分今まで買ってた車よりも相対的価値観に重きをおいて選んだのかも。

絶対的価値観と相対的価値観

グランスポーツを買った時はまわりにスポーツカー/スーパーカー乗りはほぼ皆無だったから自分の純粋な直感、まさに原始脳の働きが大きかったと思う。

でもカークラブに参加したり、自分で立ち上げたりもしてたりすると、段々「自分の立ち位置」を意識するようになる。立ち位置って言ってる時点ですでに比較対象がいる、則ち価値観が相対的になってる。車のランクだったり、派手さだったり、音量だったり。

だから今回買ったときも多分そういう相対的価値観(=他の人があれとこれ乗ってるから、自分はこれがいいな。これ乗ってたらこう思われるかな。的な)の中で選んだのだと思う。そりゃ自分の意思で選んださ。これ「で」いい、じゃなくてこれ「が」いい、で選んださ。でもでも、他人の存在が本当にそこに影響がなかったか?100%自分の意思か?って言われると多分違う。
特にスーパーカーコミュニティというプライド・欲望・羨望という感情がうねりをあげて混ざり合ってる集団に属していると、だんだん何が本当に欲しいのかわからなくなってくる。

だし、そういう世界の住人な自分が、それを超えて原始脳がビンビンに反応しちゃう車が出てきたら、多分それは本当に欲しい車なんだろうな。

ということでそんなビクンビクン来ちゃう車に出会うまで次の車は買わない、そう決心した5月の夜。あ、でも来月1台納車するんだったわ・・・。

まあでも正直毎日カーセンサー眺めながらうひょうひょ言ってるときはこんなこと微塵も考えてないし、540について話しかけられたら語っちゃうよ?おじさん語っちゃうよ?的な感じだ。
でも考えるのって楽しいんだ。あれこれ自分なりの理論を導き出したり、考えるためのフレームワークを検討したり。

そんな危ないやつですが、どうぞ今後もお付き合いくださいませ。