
上記の写真は以前、山道を走るために購入したATC200。すげぇおもろかった。
何か虚しいって言う時ないかぃ。今手元にあるクルマが果たして本当に自分を満たしてくれているのかって。
ボクのカーライフ、VIP(DQN)カーから始まり、紆余曲折の末辿り着いたのはランボルギーニ・アヴェンタドールだ。(ぜんせーの愛車遍歴)。もうじきスぺシャル版のアヴェンタSVJが来ると言う時でも何故かボクの気持ちは晴れない。これは正解じゃない。そんなような。
冷静に過去振り返ってみる。クルマを手にした時、もっとも興奮したのは・・アヴェンタドールLP700だ。
一時、走行性能でクルマを選んだ時期がある。BRZやジョンクーパー、NAロードスター。
ミニサーキットにも足を運んだ。グリップ走行の楽しさ、ドリフトの楽しさを理解したつもりだけど、サーキットへ行くための道のり、走行に必要なグッズ、必要とされるライセンス。そして削られる家族との時間。あらゆるものがボクをサーキットから遠ざけた。
例えばアヴェンタドール。意を決して購入を決断しても、その数年後にはより斬新なデザイン、モアパワーな新モデルが出る。それに応じて価値は減少。乗り換えを余儀なくされる。これだと愛着が薄れるのは必至。そしていろんなメーカーから次々に新モデル、スペシャルモデルが投入される今、例え興味が湧いても、追い切れず、次第にもぅなんでもいいや・・という空気感に。
バブルの頃の動画をyoutubeで見るのが好きだ。日本が元気良い時代。スーパーカーに湧いた時代。スペックを競った時代。きっとその時代に起業していれば何でもうまくいったんじゃないかとさえ思う。稼げる時代に稼ぎ、今は思い思いにクルマを楽しむ。そういうスパカ仲間がたくさんいる。普通にうらやましい。ボクは氷河期世代。ろくな教育も受けなかった。社会に出て初めてやった仕事はトイレ掃除。だからフルスペックなマシンを駆る成功者に憧れた。ステータスへの渇望があったんだ。
しかし今。合理化される社会、ステータスへ無頓着な現代。まったく必要としないパワー。過剰な装備。無駄な大きさ。そういうクルマへの憧れは無くなり、カッコイイとすら思えなくなった。それ乗ってどうするの?っていつも自問自答。
日常はアルファードやNBOXで充分だ。これらは趣味というより実用性で選んでいる。問題は自分を満たしてくれる趣味クルマ。純粋に乗りたいクルマは何か自分に問うてみよう。
現行モデルを愛する事はできまぃ。スグに新しいモデルが出るからな。
電気式を否定するつもりはない。でも長い所有を仮定すると、コンピュタがビルトインされた現代車は最適ではないだろう。コンピュタなんて一瞬で古くなるし、代替えできないからね。
クーペにこそ趣味性が宿りそうな気もするが、ボクのカーライフはファミリーと共有できてこそ充実する。
リセールを無視しちゃいけない。成功者ほど損することには敏感なはずだ。誰だって趣味クルマを単なる浪費にしたくないし、価値が落ち続けるクルマに整備費を投入する気になんてなれないでしょぅ。いつだってカネを投じるならそれに意味を持たせたい。中途半端な時計にオーバーホールはしないけど、ロレックスだったらするだろ?
こうして振り返れば自ずと見えてくる。ボクはもう一度ネオクラシックベンツに戻りたい。w124 AMG E60、w126 AMG ハンマーヘッド。
世界的な名車2台をボクはイタ車への欲求のために手放した。
子供の成長プロセスを共に過ごし、時がくれば子供に託せる。そういう物、あるといいよね。大量消費時代に生きる子供達へ一つ、何か普遍的な物を残しておく。それが継続性を育て、粘り強い人間にするのかもしれない。
よぅし決めた。ボクは90年代に回帰する。これからネオクラシックベンツを探す旅が始まるな。これはアヴェンタドールを手に入れるより難しい事だけど、きっとそれよりずっと意味のあることだと。そう信じたい。