何気ない日常をX-H1で撮ってみる
先日、FUJIFILMのX-H1を購入した。
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新しいデバイスは日々の生活に違った視点をもたらしたりするものさ。重量感があり、真っ黒でメカメカしいX-H1はなかなか外に出ないボクを駆り出すには充分な力を持っている。構図、色味、ポージング、そんなの全部関係ない。ただ無気力に、空気を吸うかのごとくシャッターを押す1日。そういうのが本当の写真の楽しさなのかもしれない。
今、大のお気に入り、ユーノスNAロードスター(テンパチ)。こいつのフォルムは30年経った今こそ輝く。現代車では絶対に作れない”リトラクタブルライト”が醸し出す”ただ者じゃない”感ハンパない。屋根を開け、BabyMetalを爆音で流しながら湾岸線を走る時間というのは、日々雪崩のように押し寄せるビジネスの決断をより正しいものに、すべての原点は人の心にあるというのを再認識させてくれる。
朝起きた瞬間から、トランプのババ抜きをせがむマイサン。「ババ抜きするのと、お台場にお出かけどっちがいい?」と言うと、トランプを一瞬で放り出す。
目的もなくとりあえずお台場をぷらぷら。アメリカ出発まで過ごせる週末はあと2回。ギスギスな予定もいいけど、何も考えず家族で歩き回る時間も悪くない。
ハンバーガー屋さん。距離が近い日常のスナップにはXF 23mm F1.4 RもしくはXF 35mm F1.4 Rが最適かな。
スポーツショップで学校のためのシューズを買い物。消費されつくした靴を見ると嬉しくなる。それだけ大地を走り回ったってことでしょ。
マイサンはアメコミが大好きだからね。MARVELの上下セットを購入してあげた途端、ハイテンション。
ショップ兄ちゃんにこの絡みよう。
試着室を覗いて許される年齢ってのも後少し。
日も落ちたのに、公園に連れて行けとうるさいので近場へ。実はお買い物が楽しいんじゃなくて、公園で鬼ごっこをするのが楽しみだった子どもたち。そういう本質のニーズを捉えられていない自分を責める。モノで満たされるのなんて一瞬。純粋に生きる子どもたちを見ると、いかに大人が意味のないものに全力で生きているか見えてくる。ズれてるんだよね。一緒にいて笑い合える時間ちゅうもんが、人類が最も欲しているものなんだ。
鬼になったから全力で子供を追いかけ、滑り台でスタックするボク。自分の体重を支えきれず腕がぷるぷる。
あぁー!力尽きた!
翌日は社員の結婚式に参加。主賓スピーチは2回目だ。すっごい緊張したけど、マイクを持つと喋りたいことだらけでむしろ時間が足りない。創業からの仲間の式だから感情的にもなったさ。あぁコイツがついに結婚かぁってな。感無量。
パフォーマンスも抜群で、素晴らしい式だった。美大出身の新郎はまさにキラキラ人生。大学時代の楽しそうなスライドに魅入ってしまった。そういう生き方を選択しなかったボク、なんだか闇を這って生きてきたんだなぁって実感させられた。おめでとう新郎。ありがとう5年もオレと一緒にいてくれて。
マイサンも着々とカメラ好きに。やれやれ、血は争えねえな。
ちゅうわけで、X-H1は最高。夜間光が乏しいところでも全力で手ぶれ補正してくれる。情報あふれる世の中で、他人の私生活になんて興味ない。そりゃそうだ。でもいいんだよブログなんて書きたいこと書けばな。