さぁて待ちに待ったアヴェンタドールSVJ。しかしボクの心はもはやアヴァンタドール、いや現代スーパーカーへ向いていない。SVJをどうするか。悩むオレ。
 

 
続々と納車が始まるアヴェンタドールSVJ。その端、ランボルギーニのリセールバリューは世界的に低迷を続けている。フラッグシップ限定車であるSVJを市場はどう評価するのか。リセール価値はどうなるのか。プレミアが付かないと言われるSVJ。それはあくまで持たぬ者が発した噂に過ぎないのか。

目の前に鎮座する素晴らしいフォルムを見ながら何故ランボルギーニへの熱意が薄れゆくあるのか考えました。ほんの数年前はあんなに好きだったのに。

 

ボクのカーライフのベースはコレクター魂

 
ボクはもともとコレクター的性質を持ちます。特に90年代のネオクラシックベンツに関しては目がありません。w140から始まり、w124 AMG E60、w126 560SEL AMGハンマーヘッド。そして今はノーマル560SELとW126ケーニッヒを所有しています。ネオクラベンツへの根底にある想いは、希少性と価値の維持に他なりません。その上に質実剛健な作りと、デザインのよさ、利便性の高さ、パーツの安さと続きます。現代の量産型スーパーカーはこういった性質を持たないのです。あたりまえっちゃぁ当たり前っすけど、なんか張り合いがないというか・・

 
 

そもそも論。ボクはスパカを好きじゃなかった?

 
ネオクラベンツにハマっていたころ、ぼんやりとフェラーリ、ランボルギーニを意識したことはあります。欲しいっちゃぁ欲しいけどそれはあくまでクルマとしてじゃなく、何かを達成した時のご褒美的なものでした。つまりビジネスをがんばるための原動力に過ぎなかったのです。でもこれはとても重要なことで、初代アヴェンタドールは思惑通り、ボクのビジネスに多大な貢献をしてくれました。

 
 

本当に好きなのはネオクラベンツ

 
もうコレは自他共に認めるしかない。ボクは90年代のベンツが好きだ!もっと細かく言うと、今も昔もW126シリーズに首ったけぇ。ランボルギーニライフの影に隠れていたボクのネオクラ魂はケーニッヒベンツをキッカケに今一度燃え始めたのです。

 
 

ドヤり・承認欲求からの脱却

 
ボクはとても卑しい人間でした。底辺をさ迷った10代後半から20代。いつもどこかで人より上に立ちたいとか、他人と比べて劣っている自分に嫌気がありました。初めてアヴェンタドールを手にした時、強くなった気になりました。別に何も変わっちゃいないのに。その時の自分を表す最適な言葉は「虎の威を借る狐」。

アメリカに挑戦しはじめ、大きく環境が変わりました。自分は自分、他人は他人。家族や仲間達と作る世界(会社)をしっかり見据えて幸せを追求していこうと思うようになりました。二人しか乗れないアヴェンタドールは休日の家族の時間を削り取ってしまいます。時間をもっと有意義に、より自分の世界を良質なものへするために、アヴェンタドールはもう必要なくなったということです。

 
 

スパカの所有は簡単?

 
これも徐々に熱が冷める原因にもなりました。以前は大きな目標として機能したアヴェンタドール。実際、コレを手にするのに必要なものは、カネもしくは信用のみ。手に入れてからも非常に維持が簡単です。保証があるわけですから、何かトラブルがあればディーラーにぽーん。カスタムしたけりゃプロショップにぽーん。パーツ欠品なんてこともなけりゃ、絶版車のように入手困難なんてこともありません。年間維持費もゼロ。以前は「あんなクルマどうやって買えるんだろう・・」から、今では「スパカなんて誰でも乗れるんじゃね」っていう思考に。

 
 

いつでも乗れるアヴェンタドール

 
希少車を手に入れる権利があった場合、決断に許された時間は1秒です。今目の前にあるものは、今手に入れないとならないのです。ネオクラシックベンツの特別車は特にです。そういう性質こそ手に入れた時の喜びは大きくなり、維持への熱意も上がります。出荷台数に制限をかけず、作るだけ作ってしまった5000万円級のアヴェンタドールは、今でなくとも、いやこの先いつでも乗ろうと思った時に乗れます。しかも安く。
 
 

ごちゃごちゃ理屈言ってもつまりは・・

 

飽きた

 
っていうことですね。まぁオレ飽きっぽいんだよ。なんせ生きることにさえ飽きてるから。

 
 

ちゅうわけでSVJ売却記、更に続く。