
「うぉぉーケーニッヒ乗りてぇぇー!」
ぼっち生活カリフォルニアでスクランブルエッグを焼くボクに何の前触れもなくやってきたこの欲望。なんなんだろう。
そして理想としてた560SELケーニッヒが都合よく見つかるこの偶然。なんなんだろう。
・・・
帰国後初の土曜。やることは決まっている。デポジットしているケーニッヒに会いに行くのだ。アポを13時に取った。
アヴェンタドールで!
ケーニッヒに出会う
出会ったケーニッヒはショップの在庫車ではなく、ショップオーナーの持ち物。そして元の持ち主はケーニッヒ界隈で有名なコレクターだ。ショップオーナーと元オーナーは友人関係にある。やはりケーニッヒの中でも希少種な560SEL。おいそれと市場に出回ることはなく、仲間内で取引されるんだね。今回ボクはラッキーだった。
何故いま、ケーニッヒなのか
ある時、ころころとクルマを変えるボクに息子は叫んだ。もうクルマを売らないでと。この数年間、ボクは狂ったように最新を求めた。残ったのは空っぽな自分と去ってゆくクルマを見て涙する子供達。一体ボクは何をしていたんだい。家族と共にネオクラシックベンツを愛した時は戻ってこない。いや、まだ子供たちとの時間は残されている。ボクはこのケーニッヒで時をさかのぼろう。失われた時間を取り戻し、息子たっちゃんに引き継げるモノとしてボクはケーニッヒを迎えたい。
朽ち果てようとも孤高の存在感
対面したケーニッヒ。30年も前のクルマだ。当然各部に劣化が認められる。それでもケーニッヒが持つ異形なオーラが消えることはない。出会った時の記録として写真を残しておこう。
※Photo by ぜんせー/Sony α7R2 50mm F1.8
ケーニッヒの契約を完了
実際には何件かの交渉が入っていたようだ。一点物の中古車は初動が大事だ。特にネオクラベンツは価値が落るどころか上がる一方。今まで何度もチャンスを逃した。今回は早期なデポジットが功を奏したと言えよう。契約を完了し、ケーニッヒはこれから整備と車検に向かう。
ケーニッヒ。
人生の節目として機能せよ
何か普遍的なモノを残したい。そう思っていた。そして突然ケーニッヒが欲しくなり、それはスグに見つかった。そして手に入れた時は息子たっちゃんの誕生日。それに今年は小学生に上がる大きな節目だ。たまたまと言えばそれまでだけど、重なる偶然を運命と呼ぶ。こうして日常の出来事に意味を持たせれば事実はもっと素敵なものになるだろう。
※Photo by ぜんせー/Sony α7R2 50mm F1.8
資本主義大原則、作れよ買えよ消費せよ。そういう世界にボクらは生きている。最新が最良であることは資本主義が作り上げた洗脳だ。強制される成長スパイラルから脱却し、自分にとって最良の選択は何か。80年代で時が止まったケー二ッヒはそういう事を教えてくれる。これから大好きな1台と向き合い続け、子供に何かを伝えられたら良い。ボクは朽ちたケーニッヒを完璧な姿で現代に蘇らせよう。一つ一つコツコツと。家族と共に。これはライフワークになりうる。ボクにとってケーニッヒは物質ではない。これからの生き方そのものなのだ。