
しまった。いつの間にか年が明けていた。
2018年がはじまった頃は、「もう欲しい車ないし、今年はさすがに買い替えはないだろうなあ」って思ってたけど、勢いでアバルト買い換えてた。まあアバルトからアバルトだから、実質買い換えてないようなもの。だよね?
密かにLeicaもM240からM10に買い換えてるけど、見た目同じで誰も気づかないし、実質何も買ってないと同じだよね?
でも、もうさすがに車はいいかな。マクラーレンも2週間に1回乗るぐらいになっちゃったし、現在の中古相場考えるとExitし損ねた感があるぐらい。新車の情報やカーセンサー見ても、前みたいにのめり込むようなことも無いし。
それにしても車。最近改めてどういうラインアップであるべきか考える機会が多い。今のラインアップは通勤用のアバルト、遠出&荷物運搬用のゲレンデ、どやり用のマクラーレンと、10年前考えていた理想のラインアップに近い構成になっている。
必要か、と言えば当然過剰。通勤と運搬用は別に一台にまとめていいし、そもそもどやり用の車なんていらない。それこそ全てを兼ねる一台に集約してもいいわけだ。
しかし。だがしかしですよ。頭に従って、今のラインアップ捨てられるか?といえばなかなか踏ん切れない。
乗るか?あんま乗らない。
無いと困るか?困らない。
手放すか?・・・・。
もともと欲しくて欲しくて手に入れた車たちだし、それによって人生に大きな影響を与えてくれた人たちとの出会いもつくってくれたし、今後もあると思う。という考え方が、すでに自分の正当化になってるのかなあ。とも思ったり。
でも、実はこの数年車以外での物質主義からの脱出は試みてきた。ブランド物の靴・服やカバン・財布もだいぶ処分したし、高級時計も一点以外全部売った。ただ、車は自分にとっての最後の砦みたいなものだ。物質ってやっぱり見えるものだから、自分が頑張ってきた証みたいなものだから、なかなかそれを手放すのって難しい。形にあるものに拠りたい。
精神主義って、そういう物に対する拠り所を、精神的なものに置き換えることだと思うけど、これはなかなか難しい。だって自分の精神なんて自分にしかわからないし(時には自分でもわからんし)、迷った時の絶対的な指針的なものが無いと難しいと思う。
そういう意味では、宗教においては神が居て、教えがあるというのは基準がわかりやすいし、精神主義の心の拠り所として理にかなっている。あ、偶像礼拝が禁忌とされてるのって、精神主義と見せかけて物質主義にはしるな!的な意味もあるんかな?そして物質主義で物に対する欲がエスカレートするように、精神主義では精神の高みに対する欲求が増す=信仰心を高める、なのかな。
話が逸れた。果たして自分の落とし所はどこにあるのか。解脱を果たし、精神主義に切り替わるのか。それとも精神と物質のバランスをとるのか。
多分自分にとって車がバロメーターになってる。今まで意識することなかった状態から、認知の状態に切り替わった2018年。今年は果たしてどんな年になるのか。
“You know that we are living in a material world, and I am a material girl” MADONNA - Material Girl